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会場発言要旨
●山口 研一郎(脳神経外科医・現代医療を考える会代表)

「三池」40年間は、医学者や科学者による嘘が露呈した歴史でもあった

1.三池三川鉱に於ける炭じん爆発の原因を「炭じん雲説」ではなく「風化砂岩説」とした嘘。

2.炭じん爆発によるCO中毒症状を器質的なものではなく、「組合原性疾患」による精神症状とした嘘。

3.日本の医学者や科学者は、戦時中「七三一部隊」を始めとする医学犯罪・戦争犯罪に手を染めたにもかかわらず、敗戦後「そのような事実は無かった」と嘘をつくことで、身を守り地位を固めた。

4.40年前、CO中毒で生じた「高次脳機能障害」は、今でも正当に評価されることなく、多くの事故・労災による被災者は、何の補償も得られず、リハビリテーションも受けていない。

5.11月29日(土)の“現代医療を考える会”において、歴史上の医学者・科学者による犯罪を検証し、現代の医療・科学のあり方を追求しよう!



●林 繁行(全港湾大阪支部安全衛生委員会委員長)
 
「命と健康」は労働運動の原点

    全港湾大阪支部及び安全衛生委員会は、30年以上に渡って「命と健康」問題につ いて取り組んできました。当初は、被災者の救済問題を中心に行政と対峙してきました。
     しかし近年、「命と健康」を脅かす原因の究明・調査をはじめました。

   例えば、労働災害の発生原因、危険有害要因を除去する取り組み、健康診断など特 定の医療機関に集約し、健康管理と職場実態や環境問題の改善などに努めてきました。

  被災者救済も大変重要なことですが、原因の究明・除去することによって「命と健康」 が守られることである。これらは長年の組合活動の成果でもあります。
     組織人として、この1960年三池闘争・CO大災害を振り返って、いま労働組合 が見失いつつある事実が浮き彫りとなっています。

     合理化・リストラ当たり前、労働条件・保安問題の切り下げ容認などなど、経済状 況悪化と「生きる権利」「人間の尊厳」とは全く異質の問題である。労働組合が毅然とした態度で立ち向かう一番重要な課題であります。

     また、40年間「CO被災者家族の会」で闘われてきたこに敬意を表すと共に、関 西の地からも支援の輪を大きく拡大し、一方では、現代のCO患者とも言われている 「高次脳機能障害」の患者の救済活動に全力を注ぐ。


●上田 孝二(国鉄労働組合新幹線大阪地区本部副委員長)
 
「三池闘争と国労保線所分会の職場闘争」

  1.1960年代後半、国鉄「マル生」運動=生産性向上運動の組織破壊攻撃が全国 的にかけられる。そして1970年5月国鉄財政再建5万人「合理化」が出され、「合理化」に反対するものはすべて国鉄再建の敵であるときめつけ、国労や動労への組織破壊の攻撃を当時の磯崎国鉄総裁が指令したのである。組織破壊の攻撃は、大胆かつ巧妙に管理者が組合員を呼びつけ、白昼堂々と脱退用紙に捺印の強要から、国鉄採用時の保証人に組織誹謗を吹き込み脱退の強要をせまり、また、結婚しても宿舎に入居させないなど徹底した組織差別が行われた。さらに、当局と一体となった組織分裂策動が巧妙に行われ、全国に施設労働組合がつくられ、1971年9月、当分会も数日夜にして、260名の組合員が50数名の少数組合に転落していくのです。
   苦難の反撃であったが、攻撃の本質が見え、翌10月には復帰100名突破集会を開催し、組織の反撃が開始されていくのです。

  2.組織奪還闘争の最中、1972年3月15日の新幹線岡山開業を控えていたころ神戸・六甲トンネルの労働者から「ほこりが多く咳が出てしかたがない」「タンが黒くなる」試運転の運転士かせ「フロントガラスがほこりで真っ白になる」という声が聞こえ、保線所分会の共闘組織である北摂労災職業病対策会議で議論する中で「じん肺の発生の恐れがある」とのことからじん肺闘争へと開始されていくのである。

  このころから三池の闘いを学び、とりわけ、1963年11月9日の生産第一主義の保安サボによる炭じん大爆発という大惨事の教訓を得るわけです。そして三池との交流が始まり「抵抗なくして安全なし、安全なくして労働なし」をスローガンに粉じん発生源除去の闘い、じん肺患者を出さない闘いが地域仲間・京都大学・岡山大学などの専門家の協力を得て取り組みが開始され、トンネル内粉じん調査、滋賀・京都・大阪・兵庫各労基局交渉が連日行われ、最終的には、わずか、二百数十名の分会でしたが、5キロ以上のトンネルに「じん肺法を適用」させるという法改正させてきたわけであります。
  
  3.労働災害根絶を目指し闘ってきた分会です。残念ながら1977年5月7日2名の仲間が無惨にも新幹線210キロスピードの犠牲になりました。

  線路の巡回でたまたま、前日交換したレールが気になり線路内に立ち入ってしまい、新幹線に飛ばされ、一緒に巡回していた仲間に直撃し、さらに自分の体がバラバラになりながらも新幹線と平行で走っている171号線の自動車に飛び込むという大惨事が起こってしまいました。
  この事故後、自然発生的に新幹線運転時間帯に「労働者を線路に入れるな」の業務拒否に突入し、2ケ月間山猫ストともいう状況の中で、当局も、線路に入る場合は、新幹線を抑止してから立ち入ることを認めざるを得なかったわけです。

  私たちは、命を投げ出し訴えた教訓を忘れることなく、この日を「労働者屈辱の日」として、毎年、資本の生産第一主義に抗議し、二度と犠牲者を出さないために追悼抗議集会を地域の仲間とともに行っています。今年で26年回忌を迎えています。

  4.高度成長と技術進歩のなかで、そこに働く労働条件の改善が進んでいません。
    私たちは、新幹線の真横1mのところを巡回していますが、開業当時は180キロそして210・230・270・300キロとスピードアップはしていくが、働く条件は悪くなっています。さらに、トンネル内では、上り下りを走る新幹線の間を巡回し、列車が来たら通路にへばりつくように退避をするわけです。

   この間の労基局への申告・立ち入り調査をさせる中で、トンネル内巡回通路については安全通路ではないとし、トンネル内巡回の中止と改善勧告が出されていますが、この取り組みも関西だけになっているのが現状であります。また、JRになってからは「会社が安全と判断している。従ってトンネル巡回はしてもらう」と強行実施しようとしています。勧告を出した京都労働局も日がたつにつれ、JR当局の圧力により、労使関係問題として無責任な対応と責任逃れをしようとしています。今後さらに京都労働局への取り組みが重要な課題となっています。

  5.私たち分会の運動は、三池の闘いに学び、職場闘争の柱を労働災害職業病根絶・1人も労働災害の犠牲者を出すな!を合い言葉に闘ってきました。

  国鉄の分割・民営化攻撃の中でも、厳しい経験の中から多くの仲間が国労に結集し、団結してきた分会だと自負しているところです。さらに三池闘争の連帯強化と職場闘争強化・労働災害職業病根絶に向け、全力で取り組んでいきたい。

                                                                    以  上