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写真展前にあったこと
 
    写真家  池田 益実
 三池関西写真展から3カ月が経ようとしている。昨年3月頃に瀬戸さんから電話があって、6月に大阪に行くまでは、写真の展示を手伝うだけと気楽にかまえていた。

  東京写真展の実行委員の宗さんから三池労組から写真を貸りることになるが、三池労組は貸し出しにOKしてくれるかどうか心配していると電話があった。理由は、CO大災害問題に取り組んでいる関西の人たちと一部意見を異にしているからだと。それがその通りになり、三池労組からは三池関西写真展への協力に難を示していると関西に連絡があったと。これも宗さんから電話があった。これでは、直接大牟田に行って三池労組の芳川組合長にお願いするしかないと関西側から提案があり、宗さんと私が同行することになった。

  8月初旬の晴れた暑い日、宗さんと私で大牟田駅の一つ先にあるJR荒尾駅に出迎えに来ていた。列車から降りて改札口を抜けてくる事務局長の林さんをはじめ関西実行委員の四人のそれぞれの姿を、それは何か出会うはずの無い場所での異空間の出来事のような気がして見ていた。

  芳川組合長との会見は、元組合長の沖克太郎氏の仲立ちで行われた。結局、三池労組が何とか遠くから来た三池関西写真展実行委員の顔をつぶさない範囲で写真は貸そうという事になって、この件が落ち着いた。全員ほっとしたが、写真はすでに用意されていて、私たちは大忙しで写真のピックアップと複写を行った。汗まみれになり埃のかぶった写真で手が黒くなりながら一時間ほどで何とか複写を終えた。三池労組を辞した後、近くの写真展の作家・城台巌氏の所で、写真展の協力依頼、あいさつを兼ねたものだったが楽しく話し合いを行った。途中からは同作家・藤本正友氏も加わっての1時間半だった。このあとCO被災者の会の方々と一杯呑みながらの歓談となる。

  ところが事態はもう一転する。9月5日の三池関西写真展実行委員会の発会式の前、城台巌氏からファックスが届き、文面は「私の写真も名前も写真展で使うのを断ります」であった。実行委員会が困っている所へ、その後藤本正友氏からもファックスが届いた。理由は「写真展は私の趣旨に反するので参加を断る」といった内容だった。
  ことの始めは、2001年10月に三池闘争に関した三人の写真展が出発で、城台・藤本・池田(私)の三人展だった。それを宗さんが2002年に東京へ持って行き、実行委員会が出来、写真集が出来、三人展プラス三池労組のパネル展示を行ったものだった。

  関西へも東京写真展の関係者からの働きかけで行われるものであった。その内の二人が外れれば、三池闘争に直接関係のない私だけの写真になり、写真展の内容がスポイルされることになる。ファックスを受けた実行委員会は困り果てた。それでもなんとか考えを振り戻り、CO問題をむしろ中心にすることでやれるだろうということになった。心配は結果として杞憂に終わった。

  9月5日の実行委員会結成の翌日の6日、CO写真内容の第一次の検討を行った。その打ち合わせの後、私の所へ送られてきた内容のページ割付を見て、これは良く出来た展示内容になっていると感心するとともに、すでに表現として成り立っている以上、展示の仕方とパネルの作成は念入りに行うべきだと思った。

  そういう経過で、展示写真は三池労組の写真が結局全面に出ることになった。三池闘争の写真は、2000年に三池労組作成の写真パネルで、CO関連は、三池労組貸与の写真、事故当時、炭塵爆発政府技術調査団であり福岡県警鑑定人であった荒木忍さんから事故直後の写真提供に応じてもらい、CO原告団から拝借の写真で内容とし、関西実行委員会が独自で構成した。若干、カラーを出した方が良いと考え、私の方でつぎ足し、それに大牟田展からの私の三池の炭鉱遺跡の写真パネルを10点ほど添えた。
  私は、筑豊の写真を20年余り撮っている。それで思うことは、炭坑労働者は最後まで人間として扱われなかったという思いだ。

 筑豊で最初に炭坑労働組合を作った光吉悦心は、三井田川の坑夫であったが、多くの労働者が目前で殺され、また、死んでいくのを見続けた人物だ。彼は、後年、炭坑犠牲者の牌の建設にあたりこう述べている。「私もまた、多年、僚友として自らこれらの惨事を親しく目撃し、幾度か担架を担いで、同僚犠牲の屍を坑外へと運んだ。しかもこれらの僚友の犠牲の死は犬猫の死屍のごとく、世間から忘却し去られ、非人間的に取り扱われてきた。我らは、悲憤をこめて絶叫したい。我らも人間である。人間としての天賦の権利を我らに返せと」。光吉は、明治24年生、確か95歳で亡くなっている。

  今回、三池関西写真展に参加し、全く不勉強であった三池の炭塵爆発、CO災害について、少しでも知る機会を得たことを、私はありがたく思っている。写真展が1カ月に迫りパネル作成前に出来上がった写真を見ながら、CO災害の悲惨さに涙を禁じ得なかったことを今、思い出した。



●ビデオ『関西写真展・シンポジウムビデオ』(仮称・約30分)

鎌田慧、原田正純氏らの三井三池闘争、CO大災害への鋭い問いかけは、混迷する現代を撃つ貴重な証言になるに違いありません。
 二月下旬完成予定。    1500円

ご希望の方は実行委員会まで


●長編映画  ひだるか
制作協力予約(署名)を

*一人一人の制作予約がこの映画をうみだします。
*映画制作協力券(1500円/一枚)は、正式に「ひだるか」制作委員会の映画制作決定後、署名予約された方に映画製作協力券(映画鑑賞券)を送付します。協力券到着後、郵便振替用紙にて入金いただく予定です。
*申し込み先は、「ひだるか応援団・大阪」(全港湾大阪支部・林繁行)まで。